
それとも、親鸞会の教えが親鸞聖人の教えと同じであるかどうか、について検討するのは、何か、この人にとって、不都合なことでも生じるのでしょうか。
そうかもしれません。
悪意を持って親鸞会を誹謗しようとする者にとって、親鸞会との教義論争は、いわばタブーとなっています。
この人物は、衰退する本願寺を何とか擁護するために、初めから、親鸞会を攻撃することが目的だったのでしょう。
親鸞会で説かれていることは、前回もお話した通り、親鸞聖人の教えそのままです。
高森先生のこんな言葉があります。
「私はただ、親鸞聖人が 教えられていることを、 今日の人に分かるように、 書いているだけ、 話しているだけである。」
まさに、親鸞聖人の教えを、現代人に分かりやすく、丁寧に、ときにユーモアたっぷりに説き明かされます。老若男女、多くの人々が参集されるのも、それだけ、お話が魅力に満ち、説得力に富んでいるからでは ないでしょうか。
元富山大学学長の小沢弘氏はこう述べています。
本部親鸞会館の法話ではたいてい「正信偈」か「歎異鈔」の講義が中心となるが、各地の会場の法話では「王舎城の悲劇」など、俗耳に親しみやすいテーマが取り上げられる。ときおりユーモアを交えながらの、噛んで含めるような高森の語り口には、なかなか魅力的なものがある。
出典:岩波文庫 日本通史 第21巻 宗教意識の現在 三.「土着型」新教団の台頭 真宗「原理主義」の挑戦 著者 小沢浩(元富山大学学長)
それにしても、この人のサイトを読んで、どうもひっかかるのは、信心決定した人数 や名前を、やけに問題にしている点です。
なぜでしょう。
そういえば、京都に本拠地を置く浄土真宗本願寺布教使の某グループは、「うちの会には、信心決定したものが多い」と吹聴しています。
ところが、そこで語られる体験話は、親鸞聖人の教えとはかけはなれた内容ばかり。正しい親鸞聖人の教えを知らないものですから、まちが った体験を、信心決定を思い込んでしまうのでしょう。
事実、教えには、まったく無知な人が多いのです。
彼らの機関紙などを見ても、かわいそうなくらいです。
それでも、「信心決定したつもり」で、踊ったり、喜んだりして、そ の体験話を他人にも言い回っているのですが、これらは土蔵秘事か、類 するものとして、浄土真宗では、恐ろしい異安心と言われています。
体験の真偽は、あくまでも「親鸞聖人の教え」を合致するかどうかで、 判定されなければなりません。
ひょっとしたら、この人物のサイトも、そちらに引き入れるためのも のかもしれませんね。
みなさんも、気をつけてください。