「続・なぜ私は親鸞会をやめたか」を読んで|本願寺関係者の批難に答える

(6)マインドコントロールといわれるもの

 さて、この人は、マインド・コントロールについても述べています。

 何しろ、言葉の理解があいまいなまま、自分に都合のいいように使う のが、この方の特徴ですが、それが最もよく出ているのが、このマイン ド・コントロールについてでしょう。

 なにかしら恐怖感を与えるこの言葉を執拗に繰り返すことで、親鸞会を貶 めようとしているようです。

 そもそもマインド・コントロールとはなんでしょう。

 オウム真理教などの「破壊的カルト」などで、この手法が用いられて いるとして、世間に知られるようになった言葉ですが、まだ専門家の間 でも、概念自体がはっきり定義されていません。そもそも、教育との区別すらつかないのですから。

 この人も引用している西田公昭氏は、こう述べています。

 一般の人びとは、マインド・コントロールと聞くと、不気味 で異様な秘技のようなものと思うかも知れない。しかし実際に は、それ自体はごくありふれた社会的影響力の集大成によって 成し遂げられる。つまり、心理学、特に社会心理学の研究で明 らかにされてきた、何気ない日常の中で作用している認知。感 情。行動の原理が、フルに活用されている。

 マインド・コントロールは、「戦慄」とか「恐怖」というよう な神秘的なイメージとは異なるものであり、誰もが行っている 日常的な意志決定上の情報処理という観点からとらえられるべ きである。
(「マインドコントロールとは何か」P54)

 そのほかにも、「マインド・コントロールの技術自体は善でも悪でも ない。使い方の問題だ」などとも類書の多くは書いています。

 事実、言葉のおどろおどろしい感じとくらべると、実際のやり方その ものは、きわめて日常的で、人間社会のどこにでもある内容ばかりです。

 あるセールスマンなど、

「マインド・コントロールなんていうけど、あんなこと、俺たち、毎日 やっているよ。結局、セールスって言うのは、お客さんの心をこちらの思い 通りにもっていくということだからね」

と言い切っています。

 そのとおりでしょう。

 広い意味で言えば、政府は国民の支持を得ようとして、マインド・コントロールの手法を駆使しますし、企業は社員教 育に、テレビのCMは消費者の購買意欲を高めるために、教師は生徒に 学校教育で、親は子供に家庭のしつけとして、このマインド・コントロ ールといわれるものを行っているのです。

 女の子一人くどくにも、マインド・コントロールの手法は有効です。 恋愛は、相手の心を奪うものですからね。

 要するに、人間関係そのもの、広く言えば社会全体が、お互いにマイ ンド・コントロールしあっていると言えましょう。ただ、だれもそんな 言葉を使わないだけです。

 だから、西田氏も、こう述べています。

「この言葉を安易に拡大解釈したり、また誤ってこの言葉を使っている 例があまりにも目立つので、注意をうながしたい」(p55)

 まさに、「マインド・コントロールといわれるものと類似点が多々あ る」などという理由で親鸞会を非難しているこの人物に警告を発 しているといえましょう。

「類似点がある」ということなら、どんな集団でも、「類似点がある」 のですから。本願寺さんにも、類似点は山ほどありますよ。

 

 問題は、その中身とやり方に違法性があるかないかでしょう。

 その点で言えば、親鸞会は結成以来今日まで50年近くになりますが、違法行為を問われたことは一度もありません。それどころか、正本堂のある地元住民からも信頼され、「親鸞会さんは約束をきちんと守る。会館や敷地内の清掃もいつも行き届いている。おかげでいろいろ助かっています」と感謝されていると聞いています。
 北日本新聞には、地元の消防署の消防訓練が親鸞会館で行われた様子が報道されました。(参照:公式サイト)カルトなどと言われるものとは、まったく違うのですよ。

 宗教の専門紙である「中外日報」に、以下の記事がありました。

 私の宗教社会学関連で言えば、「カルト」の定義、教団への 入信をめぐる「マインド・コントロール論争」はほとんど不毛 であり、イデオロギー対立の次元を越えない。
 つまり、布教・ 教化における本人の自己選択と組織による影響力の度合いは、 基本的に程度問題であり、個人ごと、教団ごとケースバイケー スである。
100%の自由意志も100%の強制もない。
(平成17年8月23日 中外日報 4面)
北海道大学大学院教授 櫻井義秀  「スペイン・国際カルト研究学会大会報告」

 入信をめぐる「マインドコントロール論争」は、ほとんど不毛と、専門家も断じています。

結局、誰の影響も受けずに100パーセント自由な意思で生きていきたいのなら、絶海の孤島にでもいくしかないでしょう。

 それでよければ、どうぞご自由に、と言うしかありませんね。



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